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天国からの手紙(화성으로 간 사나이) [ネタバレ映画レビュー (韓国)]

tengokukaranotegami.jpg天国からの手紙 【韓流Hit ! 】 [DVD]

近年、「あの人が好き」という気持ちにしがみつくほど愚かなことはないのではないかと考えるようになりつつある。
愛に正直で、純粋であり続けることは確かに大切だ。
しかし自分の気持ちにしがみつくことは、単なるエゴなのではないだろうか。
何事にも無理は禁物なのだ。
自然というものをただありのままに感じられる当たり前の日常の中で、愛は自然に流れるように育っていくものではないだろうか。
それに気づけば、誰にでも幸せはやってくるはずだ。

スンジェ(シン・ハギュン)は子供のころからずーっとソヒ(キム・ヒソン)を思い続けている。父親を亡くしたソヒはソウルにいるおばさんの家に引き取られることになる。離ればなれになっても、スンジェの気持ちが変わることはない。

日本では「天国からの手紙」だが、韓国の原題は「화성으로 간 사나이」で、訳すと「火星に行った男」となる。
ソヒの父親は亡くなる数日前「お父さんは火星に行ってくる」と言い残した。父親が亡くなったことを理解できないソヒは、父親は火星にいると思い込み手紙を書く。まもなくソヒの元には父親からの返事が来るのだが、その返事を代筆していたのがスンジェなのだ。

年月が過ぎ、村はダム工事でまもなくダム湖に沈んでしまうことになった。大人になったスンジェは村の郵便配達員になり、ソヒは都会で証券会社に勤め恋人もいる。ソヒにとってスンジェはいつまでたっても田舎の親切な幼なじみのお兄ちゃんであって、「男」ではないのだ。たった一度のキスで、スンジェは自分の思いが伝わったと思うが、ソヒにとってはおそらく雰囲気に流されたゆえのはずみでしかない。

一方で村の薬局に勤めるソンミはスンジェに思いを寄せているようだ。しかしスンジェには全くその気がない。

実はこういうことって、結構よくあることなんじゃないかって思う。
自分のことを好いてくれている人がいるのに、自分は他の人が好き。でも他の人も、また別の誰かを好きという悪循環。
そういうのって仕方がないのかもしれないけれど、ちょっと待てと思う。
スンジェが自分のことを客観的に考えることができたなら、この薬局勤めのソンミが、いかに自分に合っているかよくわかったはずなのだ。
しかし、スンジェにはそれがわからない。そして、ソヒにいつかは思いが通じるはずだと信じているようだ。

実はスンジェが愛していたのは、ソヒではなく、ソヒとの思い出や、幼い頃の村の風景や、両親も生きていた頃の幸せな日々だったのではないだろうか。
それはとても利己的な物に思えるし、本当の愛ではないだろう。
ソヒにしてみれば、変わってしまった自分を好きだと思っている男の気持ちなんて全くわからないだろうし、迷惑なだけだと思うのだ。

映画だから、ソヒの態度がひどいものに思えるけれど、現実として考えてみると、実はよくある話なんじゃないかと私には思える。だから、ソヒの態度だって、当然のことのように思えてくるのだ。
ソヒはスンジェのことを嫌っているわけではないだろう。他の恋に燃えている自分にとって、ただ、面倒で迷惑な存在に過ぎないのだ。そして、都会で洗練された自分になっているつもりなのに、田舎のにおいを引きずってやってくる男の存在は鬱陶しい以外の何者でもないだろう。この辺は、身近にいる相手にほど、ときめきを感じにくいという真理を絶妙に描いているように思う。

スンジェの死はかなり曖昧だ。
湖の底で泳いでいる姿は、ファンタジックでもある。
彼は結果としては自殺なんだろうけれど、なぜ死んでしまったのか、周囲の人たちにはよくわからない。
実は「死」を選ぶ者の真の理由など、本当は本人にもわからないんじゃないだろうかって、私は考えている。本人にもわからないことなのだから、ましてや周囲は推測はできても、わかろうはずもないだろう。だからこそ、周囲は原因さえ理解できず、苦しむことになるのだろうけれど。
しかしこの映画では、スンジェは自分の意志で、幸せになるために火星に旅立ったという描かれ方をしているように思う。

面白いなと思うのは、「死」に対する描き方だ。
特にソヒの祖母の死の様子が印象的。

眠っているスンジェに夢とも現(うつつ)ともつかず、祖母が語りかける。
「そろそろ会いに行くと息子に伝えたから」
つまり、既に死んでいる息子に対して、おそらく死期を悟った祖母が、私もそろそろそちらに行くからと言った……というようなことを、ぼんやりとスンジェが聞いたような気がしたというわけ。

こういう状況って、昔からある、霊的な現象とか、予知夢とか、そういう類のものと一緒なのではないかと思うのだけれど、この辺りの描き方は印象的だった。
「死」を神聖なものとしてとらえるならば、こういう描き方もあるのだろう。
現実の死を見つめる描き方よりも、目覚めてみたら一緒にいた相手が亡くなっていて、そういう死に方は悲しいかもしれないけれど、「安らかな死」と言えるのではないかと思う。身近な人が亡くなるときに、その相手が夢枕に立つという話は、日本でも昔からよく聞く話。
グーグーだって猫である」の原作漫画にも(これは相手が猫だけれど)、似たようなエピソードが綴られている。サバという猫が亡くなるとき、主人公は急に眠くなり、目覚めたら死んでいたというくだりだ。一番苦しんでいるところを見せたくないサバの飼い主に対する思いというか愛情が、そうさせたのではないかというわけだ。

スンジェはこの村が大好きだった。それはとても伝わってくる。
幸せだった頃の幸せを感じた瞬間とか、自分と関わった身近な人々の幸せな笑顔とか、そんなものを一気に思い出しながら死出の旅路についたのであろうということが描かれ、それが救いになっているようには感じる。
しかし、死はそんなに美しいものではないはずだ。

スンジェ亡き後、恋に破れて村に戻ってきたソヒが、スンジェが亡くなった湖のほとりに佇む姿が印象的だ。ソヒはこの後、どのように生きていくのだろうか。
死を美しく描こうとしているからこそ、ファンタジーとして成立しているのだろうけれど、果たしてそれで良かったのだろうかと、ちょっぴり疑問を感じさせる作品だ。

そうはいっても、懐かしい風景に心癒されるし、この世のどこかに、登場人物のそれぞれと似たような思いをしている人が存在するに違いないと感じさせる、妙な現実感をも併せ持っていることが、この映画の不思議な魅力なのではないかと思う。

スンジェは湖の底にある火星に行き、幸せをつかむことができたのだろうか。


余談だが、スンジェの弟役のキム・イングォンは、韓国で大ヒットした、「花嫁はギャングスター」に出演していた。彼の演技に大笑いしてしまったことを思い出した。いっつもどこかでこづかれているような感じを漂わせる、その意味では希有な俳優なんじゃないかと思う。彼は「恋する神父」などにも出ているようなので、いずれ見る機会もあると思う。

あと、今回キャストを見るまで気づいていなかったのだけれど、スンジェの父親役でイ・ジェヨンが出ている。名前はまだよく認識していないのだけれど、韓国ドラマや映画を見ていると、結構嫌みな悪役で登場することが多い印象的な役者さんだ。特に「野人時代」でのみわ(たぶん三輪って表記だと思うのだけれど。。。日本人の役なんですよ)役は本当に憎たらしかった。「フライ・ダディ」での教頭先生役も嫌だった。でも、気になる役者さん。プロフィールを調べてみて、1963年の早生まれ…って、意外に若くてびっくり。

<データ>
監督:キム・ジョングォン
脚本:チャン・ジン/チョ・ジョンファ
主な出演:
イ・スンジェ(シン・ハギュン)…もうすぐダムに沈む村の郵便配達員。
ユン・ソヒ(キム・ヒソン)…スンジェと幼なじみ。都会に出て証券会社に勤める。
ハン・ソンホ(キム・ミンジュン)…ソヒの勤めている証券会社の理事。ソヒと恋仲になる。
ソンミ(パク・ソヒョン)…村の薬局の店員(薬剤師?)。スンジェに思いを寄せている。
スンジェの父(イ・ジェヨン)
ソヒの祖母(ソン・ヨンスン)
キム・ドンホ(チョン・ギュス)…郵便局長。
イ・ホゴル(キム・イングォン)…スンジェの弟。
パクさん(イム・スンデ)…床屋。
ギョンス(パク・ソンウン)
トゥクサム(イ・ウォンジョン)

2003年/韓国/106分
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